さよならレイジーマンデイ

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ゼルダの伝説 ブレス オブ ザ ワイルドのオープニングの秀逸さを語る。

私は、ゼルダの伝説 ブレス オブ ザ ワイルドのオープニングシーンを見たとき、「あ、このゲームは100%面白い」と確信しました。

実際、プレイしてみると本当に面白かったのだから、この確信は正しかったということになります。

 

果たして、冒頭のシーンにおいて、プレイヤーの心をガッシリと鷲掴みにできるゲームが、この世に一体どれほどあるでしょうか。

大抵は、よく分からないオープニングムービーが流れ、ある程度物語を進めていかないと、ゲームの面白さには到達できません。

それどころか、面白さに到達する前に飽きてしまったり、結局最後まで面白さを実感できないまま終わってしまうことも少なくはありません。

 

FF15の場合

例えば、前回も取り上げたFF15について考えてみます。

冒頭、ヒゲ面の主人公ノクティスが、仲間たちと一緒に、炎の中で戦っているシーンが流れます。

このシーンは後ほど意味が分かるんですが、この時点では何のことかさっぱり分かりません。プレイヤーは、ただポカーンと眺めているしかない。

 

その後、旅立ちのシーンへと切り替わり、主人公たち一行は、国王である父親と謁見し、別れ際、父親とノクティスはいくつか言葉を交わします。

予備知識がないので、父親とノクティスの関係性がよく分からず、このときの会話が何の意味を成しているのか、やはりよく分かりません。

もっと言えば、なんで旅立つのかもよく分かりません。

 

次に、あーだこーだと他愛もない会話をしながら、荒野の道でエンストした車を押しているシーンへと切り替わります。

この4人組の関係性について、やはり予備知識がないので、プレイヤーは蚊帳の外です。特に面白くもない会話をただぼーっと聞いているしかありません。

 

最後に、なぜかスタンドバイミーをBGMにして、引き気味のカメラアングルになり、荒野の風景を見せながら、タイトルテロップが表示されます。

幸先の悪い旅路…みたいな演出なんだろうけど、なぜスタンドバイミーなのかもよく分からず、特にワクワクすることもなくオープニングが終了。

 

お分かりでしょうか。

最初から最後まで、プレイヤーはゲームの当事者ではなく、部外者という立ち位置で主人公たちを見守るという図式になっているのです。まさに置いてけぼりを食らっている状態です。

この時点では、FF15が面白いのかどうか、とても判断できないです。

 

ゼルダの伝説BoWの場合

では、ゼルダの伝説の場合はどうか。

ベタな展開といえば、ベタかもしれませんが、誰かの声に導かれて、薄暗い祠でリンクが目覚めるところからスタートします。

そのあと、すぐにプレイヤーはリンクを操作できるようになります。この時点で、既にプレイヤーはゲームの当事者です。

 

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宝箱に入っていた服を装備すると、すぐに出口の光が見えてきます。

この薄暗い祠から外に出られるということだけでなく、直感的に「これから冒険が始まる」ということにも気づきます。

 

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祠の外に出た途端、プレイヤーの気持ちを推し量るかのようにリンクが走り出します。プレイヤーの心は、完全にリンクと一致。

 

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崖の淵に立って、遠くを眺めるリンク。カメラが遠くの景色を映し出すように引いたところでタイトルテロップが表示されます。

眼下に広がる森や、遠くに見える火山を目にして、プレイヤーの心は踊ります。この先、どんな冒険が待っているんだろうと。

 

オープニングはたったのこれだけであり、リンクを目覚めさせた謎の女性の声以外のセリフはひとつもありません。

長々としたオープニングムービーを見せるわけでもなく、必要以上に意味ありげな伏線を張るわけでもなく、シンプルな作りながら、プレイヤーの心をガッシリと鷲掴むことに成功しています。

私は、過去にプレイしたゲームの中でも、このオープニングシーンは、トップクラスに秀逸だと思います。

 

プレイヤー目線に立った世界の見せ方

FF15のことを散々批判してしまい申し訳ありませんが、過去のFFシリーズの中には、とても上手い見せ方をした作品もあります。それがFF7です。

 

ただし、私が言っているのはオープニングではなく(オープニングも秀逸ですが)、それからしばらくプレイしたあとに訪れるミッドガルの脱出イベントのシーンです。

ゲーム開始から数時間程度、プレイヤーはミッドガルを舞台にしてゲームを進めます。ミッドガルが物語の中心であり、プレイヤーの意識はそこにフォーカスされます。

その後、セフィロスの後を追って、ミッドガルを脱出し、初めてワールドマップに降り立つのですが、このとき、プレイヤーはただっ広い荒野に放り出されます。

そこで、ミッドガルの外に広大な世界が広がっているということをプレイヤーは初めて知るのです。

 

ゼルダの伝説でも、薄暗い祠で制限的な行動をさせたあと、広い世界を見せるという、同じ手法を採用していますが、

狭い世界を体験させたあとに、広い世界を見せるという手法は、世界の広さを思い知らせるのにはとても有効ですね。

 

私は、こういう世界の見せ方は、素晴らしい作り方だと思います。何故なら、プレイヤーの目線を意識しているから。

言うなれば、プレイヤーを放置するのではなく、ゲームの世界への導線を引きつつ、制作側が気づいて欲しいポイントを、プレイヤーが自然と気づくことができる構図と言えるでしょうか。

これを見事に表現できている点において、ゼルダの伝説のオープニングは比類なき秀逸さを持っていると思うのです。