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アサシンクリードオデッセイを100%楽しむために古代ギリシアの歴史を学ぼう。

(2018年10月17日公開)

 

こんにちは、ぽよ彦(@poyo_hiko)です。

 

アサシンクリードオデッセイは、紀元前430年頃の古代ギリシアを舞台としていますが、このへんの時代背景に疎い人からすると、ゲームの冒頭に出てくるレオニダスというヒゲ面のオッサンが誰なのか分からないし、なんでスパルタアテナイが戦争しているのかもよく分からないと思います。

 

なんで戦争してるってばよ…。

 

そこで、アサシンクリードオデッセイを100%楽しむために、古代ギリシアの歴史について、紀元前2000年頃から、本作で描かれているペロポネソス戦争(紀元前430年頃)までの流れを解説してみたいと思います。

なお、歴史考証にあたって、様々な出典を参考にさせて頂いていますが、本記事では、その正確性・最新性を保証するものではありません。その点は予めご了承ください。

 

 

文明の始まり(紀元前2000年~1200年頃)

おそらく古代ギリシアの基礎となる最初の文明が築かれたのは、紀元前2000年頃です(これより以前は、ウホウホ言いながら狩猟して、洞窟で暮らしていた石器時代です)。

まずは、古代ギリシアの最初期の文明の成り立ちから説明してみましょう。

 

ギリシアは平地が少なく、土地のほとんどが山地・丘陵地帯となっており、雨もあまり降らないので、穀物の栽培に向いていませんでした。

ゲームをプレイしていても、①山地の多いマップであること、②あまり雨が降らないこと、③田畑を耕している農民が少ないことは何となく気づくはず。実は、ギリシアの歴史を語る上で、この地理的条件は結構重要です。

 

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(マルコスのブドウ園)

じゃあ、ギリシア人たちはどうしたかと言うと、山の斜面を利用して、「地中海の三大作物」と呼ばれるブドウとオリーブを栽培しました。

 

主人公の恩人であるマルコスもブドウ園を経営していましたが、果樹栽培は、当時のギリシアにおいて、一番メジャーな商売だったのです。

なお、この時代に、文化の中心がギリシア北部から南部に移動していますが、それは、ブドウ・オリーブが、ギリシア南部の丘陵地帯での栽培に適していたからだと言われています。

 

そして、これらの作物からブドウ酒オリーブオイルを作り、エジプトなど、地中海の様々な地域と交易を行うことによって、人・モノ・お金の流れが生まれ、地中海で活発な交易圏が形成されるに至りました。

この交易圏の中で誕生したのが「クレタ文明」です(エーゲ海に浮かぶクレタ島で栄えたことからそう呼ばれる。「ミノス文明」ともいう)。文明と呼ぶには規模が小さいですが、ギリシア文化の発端にもなっており、歴史的意義は深いです。

 

ブドウとオリーブを中心とした文化圏が形成されていったわけですね。

 

クレタ文明では、荘厳なクノッソス宮殿が建造されたほか、交易を通じてエジプトの芸術も流入し、様々な工芸品も生み出されました。

なお、当時のクレタ島はめちゃくちゃ平和であり、建物は常に外部に開放され、敵の侵入を防ぐ外壁などもありませんでした(沖縄みたいですね)。その結果、紀元前1400年頃、ミケーネ文明を作ったアカイア人がクレタ島に侵入し、クレタ文明は滅亡に追いやられています。

 

時を同じくして、(クレタ文明を滅ぼした)アカイア人が、ギリシア本土のミケーネ(ペロポネソス半島の東北部)で発展させたのが「ミケーネ文明」です。クレタ文明と同じく、地中海交易によって栄えたとされています。

面白いことに、開放的であったクレタ文明とは対照的に、敵の侵入を防ぐように城壁が築かれるなど、閉鎖的な文明だったそうです。外敵の脅威に晒されていたことが伺えますね。

その後、紀元前1200年頃、「海の民」と呼ばれる謎の放浪集団に襲撃され、ミケーネ文明も滅亡するに至りました。

 

暗黒時代(紀元前1200年~700年頃)

暗黒時代と言っても、1990年代の阪神タイガースのことじゃないですよ?

ミケーネ文明が崩壊した後、紀元前1200年頃から紀元前700年頃までの数百年間のことを指します。

 

この間、ギリシアがどんな時代であったのか、ほとんど歴史的・考古学的資料が残っておらず、海外との交流も低調であったことから、暗黒時代と呼ばれています(初期鉄器時代とも言う)。

この暗黒時代については、特に言及することがないため、ポリスが登場する次の時代の説明に移りたいと思います。

 

この時代のことを熱心に研究している学者もいるみたいですが、スルーします。

 

前古典時代(紀元前700年~500年頃)

さて、アサクリオデッセイの時代に近づいてきましたね。

その前に説明しなければならないのは、ギリシア文明を語る上で欠かすことのできないポリスを中心として形成されたギリシア社会についてです。

 

古代ギリシアは、先述したアカイア人のほか、ドーリア人、イオニア人などの移民が寄り集まって出来た社会なんですが、ギリシア全土を統一してひとつの大きな国家を作ろうとする中央集権的な動きはありませんでした。

そのかわり、それぞれが集住して都市国家を作り、各都市国家が独自の政治を行う路線を進んでいくことになります。この都市国家のことをポリスと呼びます。

 

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(アテナイ全景)

ポリスは、アクロポリスと呼ばれる小高い丘を中心として形成されており、丘の上には城塞が築かれ(アテナイで言うところのパルテノン神殿)、アクロポリスのふもとにはアゴラと呼ばれる公共の広場が作られ、その周囲に市民の住居が密集し、更にその外側にはポリス全体を取り巻くように城壁が築かれました。これがポリスの基本構造です。

こういったポリスが、ギリシア全土にいくつも作られ、代表的なポリスとしては、アテナイ、スパルタなどが挙げられます。

 

日本で例えるなら、城を構える"藩"のようなものでしょうか。

 

そして、ポリスを中心として、海外植民を始めたのもこの時代です。

貿易が活発化し、ポリスが繁栄すると、当然人口も増えていくわけですが、ギリシアは広大な土地を有しているわけではありません。そこで、シチリア、南イタリア、アフリカ北岸、黒海沿岸などの地中海各地を植民していったのです。

なお、領土などをめぐって、ポリス間の争いも絶えませんでしたが、ギリシア人たちは、共通の文化を持ち、共通の神を崇める同胞としてのアイデンティティ意識を持っていました。

一例として、オリンピアの祭典であるオリンピックの開催期間中は、一切の戦争を休戦しなければならず、各ポリスはこれを遵守していたそうです。

 

ちなみに、この時代は、歴史的に言うと、アテナイの民主政の発展も重要なんですが、本記事では割愛します。

 

興味のある方は、ソロンの改革(紀元前594年)クレイステネスの改革(紀元前508年)などを調べてみてください。

 

ペルシア戦争期(紀元前500年~449年)

ペルシア戦争は、アサクリオデッセイのひとつ前の時代に当たりますが、なぜアテナイとスパルタが戦争をすることになったのか、その原因にもなっている戦争であるため、ここで詳しく説明していきます。

 

この時代、古代オリエントでは、アケメネス朝ペルシア帝国が栄華を誇っており、イオニア地方(エーゲ海を挟んだ大陸側にある地域)を支配下に収めていました。

そして、ペルシアが支配していた植民市に「ミレトス」というポリスがあったんですが、このミレトスがペルシアの支配から独立しようと反乱を起こしたところ、ミレトスの反乱にアテナイが介入していたことに、ペルシア王・ダレイオス1世が激怒。

 

「あ?ギリシアごときが俺らに歯向かうの?ほな、お前らぶっ潰すわ」

 

というテンションで始まったのがペルシア戦争です。

 

紀元前492年。

ダレイオス1世は、小手調べとして、小規模部隊をギリシアに派遣します。結果として、暴風被害により撤退を余儀なくされましたが、その後も引き続きギリシアの各ポリスに服従を要求し、エーゲ海にあるほとんどのポリスが要求を受け入れていきました。

 

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(マラトンの海岸)

紀元前490年。

それでもなお服従しないポリスを攻略すべく、ペルシア軍は再度ギリシアに向けて侵攻を開始。エーゲ海の島々を攻略し、アテナイ近くのマラトンという地域に上陸します。

 

このとき、ペルシア軍3万、アテナイ軍1万(スパルタは援軍を送らず、プラタイアとの連合軍を結成した)という兵力差でしたが、ペルシア軍は重装歩兵の突撃に慣れておらず、多数の死傷者が出たために、アテナイへの進軍を諦めて撤退。またもやギリシアの勝利で終わります。

なお、アテナイ・プラタイア連合軍の勝利を伝えようと、1人の兵士がアテナイまでの長距離を走り、アテナイに到着して息絶えた…という逸話から、マラトンの地名にちなんで、マラソン競技が誕生したと言われています。

 

ただし、これは後世の作り話という指摘もあります。

 

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紀元前480年。

死去したダレイオス1世の後を継いだクセルクセス1世が、30万もの大軍を率いて、再度ギリシアへ侵攻します。懲りないですねぇ。

 

さあさあ、ここで、やっとアサシンクリードオデッセイに繋がりました。

ゲームの冒頭において描かれていたテルモピュライの戦いとは、このとき、ギリシアに侵攻してきたペルシアの大軍と、スパルタの王であるレオニダスが率いる300人のスパルタ兵が、テルモピュライでぶつかった戦いなのです。

 

テルモピュライの戦いにおいて、スパルタは、3日間にわたってペルシアの侵攻を防ぎ、迂回路を発見されて背後に回られた後も、最後まで投降せず、全員玉砕するまで戦いました。

この戦いで戦死したレオニダス王とスパルタ兵は、後世に至るまで英雄として讃えられることになります。

 

映画「300」でも有名な話ですね。

 

テルモピュライの防衛線を突破したペルシア軍は、ギリシア本土に怒涛の進撃を見せ、各地のポリスを攻略していきます。ついには、アテナイも占領されて街が破壊されてしまいました。

 

しかし、ペルシア軍がアテナイを占領する頃には、市民は既に離れ小島に避難済みであり、ギリシア軍は、デルフォイの神託官の予言に従い、海戦に向けて準備万端状態。巧みにサラミス湾に誘いこみ、ペルシア軍に勝利します(サラミスの戦い)。

このペルシア戦争に勝ったことにより、ギリシアでのアテナイの名声は確固たるものとなります。名実ともにエーゲ海の覇者として君臨することになったわけです。

 

ペロポネソス戦争期(紀元前431年~404年)

さて、いよいよアサシンクリードオデッセイの舞台となっている時代の説明へと入ります。

 

ペルシア戦争に勝利したあと、ギリシアがどうなったのかと言うと、アテナイが中心となって、他のポリスに呼び掛ける形で、「デロス同盟」という軍事同盟を結ぶことになります。

このデロス同盟というのは、簡単に言うと、ペルシアによる再襲来に備えて、同盟に加入しているポリスが、軍船・軍資金を拠出するというものでした。

代表者による会議はデロス島で開催され、拠出された資金はデロス島に置かれた金庫で共同管理されることになりました。

 

ところが、ペルシア戦争において多大な功績をあげたアテナイは、完全に天狗になっており、アテナイの将軍・ペリクレスは、同盟資金を勝手に流用し、パルテノン神殿の建築費用などに充ててしまいます。

ペルシアの再襲来に備えるはずの軍資金を、アテナイの街の再建費用に使ってしまったことに対して、当然、加盟ポリスは反感を覚えていきます。

 

それでも、アテナイによるエーゲ海支配の傾向は弱まりません。

デロス同盟からの脱退を図ろうとするポリス(ナクソス島、タソス島など)に対しては、武力で鎮圧したり、制裁金を課すなどの強権を発揮し、いつしかアテナイはエーゲ海を完全に支配する「海上帝国」と化していきました。

 

アテナイの台頭に危機感を覚えたスパルタは、デロス同盟から離反するポリスを支援するなど、アテナイへの対立姿勢を見せ、デロス同盟に対抗して「ペロポネソス同盟」を結成します。

その後、徐々に両者の間には緊張状態が生まれるようになり、紀元前432年、ついにペロポネソス同盟は、エーゲ海で軍事力を拡大し続けるアテナイに対して、開戦を決議します。

こうして始まったのがペロポネソス戦争であり、アサシンクリードオデッセイの世界において、あちこちで起こっている争いがこれです。

 

独裁を押し進めるアテナイに対して、スパルタを中心とする反対勢力が対抗するという図式。

 

以上が、アサクリオデッセイの物語の舞台となっている古代ギリシアの歴史となります。

あとは、補足的にアサクリオデッセイに登場する人物の紹介や、予備知識などを補充してみます。

 

補足① 歴史家・ヘロドトス

アサクリオデッセイには、「ヘロドトス」という人物が突如登場し、主人公一行に帯同するようになります。

「誰だよ?このオッサン」と思った方も少なくないはず(笑)

 

実は、ヘロドトスは実在した人物であり、ペルシア戦争を主題とした「歴史」という時代史を執筆するなど、歴史・史学というジャンルを確立した偉人です。

「歴史の父」と呼ばれたりもします。

 

ただし、ヘロドトスに対する評価は必ずしも肯定的なものばかりではなく、明らかに作り話と思われるエピソードも掲載されていることから、彼の歴史探求に対する姿勢には批判も多く向けられています。

 

その批判の原因として、「人から聞いた話をそのまま記す」という執筆スタイルも関係しています。

例えば、アサクリオデッセイにおいても、主人公が、レオニダスの槍に触れて「過去の記憶が蘇った」と供述したことに対し、「おお、やっぱり、この槍にはそのような力が…!」と、主人公の言葉を鵜呑みにしている描写があることからも、ヘロドトスの歴史家としての姿勢を忠実に再現しようとしたのではないかと思われます(もちろん、ゲーム内では正しい史実です)。

 

補足② スパルタ

「スパルタ教育」とは、子どもに対して非常に厳しい躾や指導を行うことを指しますが、これは、スパルタにおいて行われた厳しい軍事訓練・教育に由来しています。

アサクリオデッセイにおいても、主人公が、幼少期に父親と剣術の訓練を行っている描写がありますね。

 

なぜ、そのような軍事訓練を行っていたのか、理由から説明します。

 

スパルタは、ドーリア人という移民が作ったポリスであり、非ドーリア人を奴隷(ヘイロータイ)として従わせることで、自分たちの共同体を確立したという経緯があります。

もちろん、他のポリスにおいても奴隷は存在しましたが、スパルタでは群を抜いて奴隷の数が多く、奴隷(ヘイロータイ)による反乱に悩まされていました。

 

そこで、スパルタはどうしたかと言うと、「自分たちが強くなれば良いんじゃね?」という結論に達しました。スパルタ人全員が強力な戦士となれば、奴隷を力で抑えられると思ったわけです。

 

脳筋すぎぃぃ!w

 

  • 出産直後に健康な赤ん坊かどうか検査を行い、奇形児や未熟児だった場合は崖の上から投げ飛ばされる。
  • 13歳で成人すると、短剣を持たされて1年間戻ることを禁止され、食糧は奴隷から奪うように命令される。
  • 30歳になるまで男同士で合宿をする。

…等々。

 

このような厳しい訓練を受けたスパルタ兵は、屈強であるだけでなく、鉄の結束を誇りました。30歳になるまで男同士が共同生活をするのだから、強い連帯感が生まれるのも不思議ではありません(なお、連帯感だけでなく、恋愛感情も生まれた)。

 

こうしてスパルタ軍は「ギリシア最強の陸軍」と言われるようになり、スパルタに攻め入ることは「自殺行為」と恐れられることになります。

事実、紀元前371年に、レウクトラの戦いでテーベ軍に敗れるまで、スパルタは一度も他ポリスから侵略されていません。

 

補足③ デルフォイの神託

アサクリオデッセイをプレイしていると、序盤に「デルフォイ」という土地を訪れ、アポロン神殿にいる神託官から、神のお告げを聞くというイベントがあります。

これはゲームのオリジナル設定ではなく、実際に古代ギリシアにおいて行われていたものです。

 

ギリシア中部に位置するデルフォイは聖域とされ、アポロン神殿の巫女による神託は、ギリシア人にとって極めて重要な意味を持ち、各ポリスにおける政策をも左右しました。

ペルシア戦争において、ギリシアが勝利したサラミスの戦いもデルフォイの神託によるものです(※)。

(※)神託は謎めいた詩のような形をとっており、ペルシア戦争の際に、「されどアイギス保つゼウスの御娘は、木の壁のみを守りとてアカイア人に与え給う」という神託がなされた。アテナイの執政官・テミストクレスは、「木の壁」を「船」と解釈し、三段櫂船を造らせて、サラミスの海戦に臨んだとされています。